少しずつ、少しずつ
今回は個人的な思いです。
先日断捨離していて、子どもが小さかった頃に読み漁っていた本や雑誌を見つけました。
今読んでもなかなかいいこと書いてある。
だけど、当時、頭で理解したつもりでも心身は空回りしていたなぁと感じます。そもそも「自分」がなかったから「外(本・雑誌)」に正解を求めていたのかも。
しょうがないよね、本当に気持ちに余裕がなかった。どうすればよかったのかと思うけど、どうしようもなかったとも思う。
少しずつ少しずつ、本当に少しずつ、
色々な考え方に触れて、
子どもをよく見てたくさん対話して、
自分を知っていって、試して、実感して、楽になっていって、、、
そうしたら人のことばもスッと入ってくるし、それまでの色々が腑に落ちる、という経験を(今でも)繰り返しているように思います。
正解もゴールもないからずっと続くんだと思う。いつか悟りを開けるかもと希望を抱いてしまうけど、きっとそうでもない笑。
分かっちゃいるのにできないとか、
八方塞がりでしかないとか、光が見えないとか、
人と比べて落ち込むとか、
「こんな私が親なんて」と感じることがあったとしても、
進むのは少しずつでいいし、
立ち止まっててもいいし、
命さえあればいいし、
まずはそんな自分や現状でもいい、と一旦受け取る。
自分と我が子のことだけじゃ済まないことも多いと思う。
しょうがないよ、よくやってるよ私。
そう思うよね、そう思えないよね、そうなんだなーって、
ただ、そう感じるんだなぁというふうにして、
もう自分をジャッジするのはやめる。
相手をジャッジするのをやめる。
自分はよりよい選択ができると信じる。
必要な覚悟をよきタイミングで決められると信じる。
自分が肩の力を抜ける方法の引き出しを増やす。
私はそうやって来たのかなぁ、時間と試行錯誤と経験が必要だったなぁと、そんなことを考えながら、ちょっと感慨にふけって本や雑誌は資源ごみへ笑。
お茶っこ会でも、我が子のこととなるとどうにも手放しに「安心」できない色々を聞いてもらって、
「大丈夫って言って欲しい」とリクエストをして笑、
そうだよね、そう考えればいいんだよねと軸を戻したりしています。
やっぱりそれが大事だと思うんです。
親の軸。親の安心。
それがダイレクトに子どもに伝わる。それが伝わりやすい子どもたち。
ブレブレでもいい。ブレた時に戻せればいい。一緒に戻せる仲間がいればなおいい。
(S)
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