みんな、ちがう
7月7日(日)天王台北近隣センターにてお茶っこ会を開催しました。小学生1名を含む11名参加でした。
今回も初めましての方が来てくださいました!
とても緊張されていた様子でしたが、帰る頃には「来てよかったです!」と柔らかい笑顔を見せてくださり、安心しました。
何だろう、思わず涙が溢れる瞬間もあったのに、すっごく笑ってた気がします。
お茶っこ会の約束として「一方的な意見をしたり、指示的なことは言わないようにしましょう」というのがあるのですが、
みんなでお話を聞いて、共感して、リスペクトして、体験を共有し合って、困った出来事には知恵をしぼってみんなで対策を考えたり、、、。そこにユーモアもあって。そんな温かい場でした。
同じ不登校とはいえ、状況は本当にそれぞれで、我が子にない部分を持ったお子さんの話を聞くと、つい
胸がチクン
とすることもあります。
子どもが自分だけの世界に完結しているようにお母さんにはつい見えてしまうけど、好きなことを極めてそこから世界が広がっている様子はうらやましく感じるし、
エネルギー充電中のお子さんのお母さんから見ると、色々やっているように見えるお子さんがまぶしく見えるかもしれない。
お子さんのお金に対する執着が強くて大変なお母さんは、そんなこともなく平穏な日常を送れるお家がうらやましいし、
平穏だけどもう少し貪欲にエネルギッシュになってくれればと思うお母さんもいる。
ゲームばかりと不安になることもあれば、少しはゲームでもやってお互い静かに過ごしたいということもある。
友達ができればいいのにと思うこともあれば、友達に左右されずにいてほしいと思うこともある。
じゃあなに?理想通りの子どもって?その理想ってなに?
胸がチクンとするのも自然なこと。
隣の芝生は青いもの。
それでも子どもはみんな違っていいと思えるか。
性格も特性も経験も成長のタイミングも人それぞれと思えるか。
家庭内だけで抱えていると、自分だけの価値観で判断せざるを得なくて、親子で苦しくなることが多い。「違い」を「比較」の材料にするとどんどん苦しい。
だけど、
みんな違うんだー、こんな感じでいいんだー、それもアリなんだー、こんな自分でもいいんだーって、「価値観を作りかえる」「視野を広げる」材料にできたら親子で楽になるのかなぁと思います。
我が子は我が子でいいと思えること。
自分は自分でいいんだと思えること。
そう思える過程は一人ではなかなか難しいこともある。だから、
みんなでみんなの子どもたちや自分たちの素敵なところに気づいていけるといいな。
そして今回は大学生が見学に来てくれました。
子どもへの支援に興味のある若者です。
ご自分の経験、思い、やっていきたいことを語ってくれつつ、
親御さんたちのお話も真摯に聞いてくれました。
我が子と関わってくれて、親に言えないようなことも話せるような存在になってくれたらどんなにいいだろうって、みんな思ったはず。
そういうナナメの関係の存在(親や先生など大人との縦の関係や子ども同士の横の関係ではなく、近所のお兄さんお姉さん的な第三者の利害関係のない近しい関係)って、本当に大切で需要があると思うんですよね。
今回のお茶っこ会での経験を、子どもたちのためにぜひ活かしていってほしいなと思います。(S)
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