小学生から18歳以上のお子さんのお話まで
5月27日(火)湖北台近隣センターにてお茶っこ会を開催しました。高校生、小学生を含む11名参加でした。
今回は、小学生から18歳以上のお子さんのお話まで、色々でした。
久しぶりに来てくれた小学生は、少しずつお話ししてくれるようになり、好きなテレビ番組や推しの話などを教えてくれるまでに。安心して話せる場と感じてくれたのかなと思うと、こちらもホッとします。
お母さんが気にする一見乱暴な言葉遣いも、大人たちの反応を試しつつ「ここにいていいんだよね?」という心の声に聞こえます。「ここにいたい」という気持ちを感じてとても嬉しいです。
好きなことがたっくさんある、自分のペースで過ごせる豊かな生活が目に浮かぶようでした。
会えるかもと思っていた高校生と入れ違いになってしまい、でもお互いにまた会うために戻ってきてくれました。マイペースで過ごすことが必要な子も、大事な人とのつながりはしっかり感じて行動に移せる。そういうことだよね、と思います。
小学生だと、四六時中親と一緒に過ごすご家庭が多いかもしれません。来てくださった方も、色々なところへ連れていったり色々な経験をさせようとしていたりと、親子でできる限りのことをされていて、もちろんお子さんに無理がないように最大限の気遣いをされていました。
だけど、外から見たらどんなに素敵な親子でも、経験した者でなければわからないであろう親御さんの気苦労とストレスを思うと、、、(どう声をかけても慰めにもならなそう)。
がんばっていることも、がんばれないことも、がんばりすぎて疲れちゃうことも、もうイヤになっちゃうことも、お茶っこ会に来て吐き出してくださるといいなぁと思います。
中学生は、特性と思春期が相まって神経質になったり不安定になったり。前回でもそうでしたが、特に受験が迫ってくると、本人の様子にヤキモキして親はとても不安になりますね。元々の性質はあるだろうけど、不安が強くなると症状も強く出がちなようです。
親から自立したいけど自信を失っている状態で不安が大きい。
親の代わりに拠り所になるはずの友達関係が少なく不安定。
たくさんの経験を通して確立されるはずの自我が、社会的経験が不足して偏りがち。
思春期に学校に行かないことで出てくる支障ってこんな感じでしょうか。
「学校に行かないと社会性が育たない」って世間で言われたりするのも、こういうことを考えるとわからなくもありません。不安になりますよね。
これ、親も子もめちゃめちゃ不安ってこと。悪循環だし出口が見えない状態になる。そんな時期をみんなよくがんばってる!
だけど、100%完璧な思春期の過ごし方ってあるのでしょうか?
学校に行ってれば良質な社会性が育つの?人との関わりって学校だけじゃないよね?
その前に、崩れかかった土台をしっかり支えてあげる方が、その後に育つ社会性にとって大事なのでは?と個人的には思います。
そして、この時期にしっかり自分自身と向き合った経験が、その後の自分の人生を考えていくのに大きな糧になっていると感じます。お茶っこ会で見聞きしてきた多くのお子さんたちから例外なくそう思える。
親にできることは、自分自身と向き合うことにエネルギーを使わせてあげること。
親に抗うことにエネルギーを使わせない。本人が求めていない指示やアドバイスを一方的に言わない。本人が話してくるときは「ただ黙って聞く」。
(まぁ、言っちゃうけど笑。言っちゃったときに率直に話せたり謝ったりできるのも大事、そういうコミュニケーションも大事と思えればよし。継続的に反抗せざるを得ない親子関係はつらい、というイメージ。)
今回来てくれた高校生も、以前は友達のことなのに気持ちが引っ張られて辛い気持ちになることも多かったけど、一線を引いて捉えることができるようになり、友達のことも客観的に判断できるし自分のことも守れるようになったと話してくれました。立派な社会性が育っていると感じます。
同じように、今の状態がずっとじゃないよと、他の親御さんたちからメッセージがいくつも聞かれました。
不安なのは当たり前。みんなと同じ経験ができないのもしょうがない。
今は、親子で安心できる関係を築いてほしい。それがきっと将来につながるから。
信じてほしい。自分も我が子も。
難しかったら「ムリだよー」と泣き言を言いにきてほしい。
まず親御さんが安心できるようにみんなで聴き倒します。
そして、「安心」を親子で感じるために「呼吸」が大事だよという話も出ました。
限界まで吸って、さらに吸って、さらに吸って、ゆっくり吐く。
横隔膜が下がり身体いっぱいに酸素が行き渡るようにイメージして。
座っていたら座面にしっかり重力がかかるようにイメージして。
呼吸と身体に意識を集中させていると、血が巡り、頭が空っぽになる。
身体で「生きている」「安心」を感じる。
頭やことばじゃなく「大丈夫」を感じる。
我が子がピンチに見舞われると、親としてどうにかしてあげてくて調べたり動いたり心配したり。まさにピンチ中のお母さんも一生懸命動いていらっしゃいました。
まずは自分から落ち着いて、身体で「安心」「生きている」「大丈夫」「生きていれば大丈夫」を感じる。
それが子どもに伝わる。
そして自然に我が子の力を信じられる。
「安心」から動くと、「大丈夫」な結果になる気がします。
さて、もっと大きくなったお子さん、しばらく病院に通っていたものの、怖くて診断は受けたくないと言っていましたが、とうとう本人から診断を受けてみたいということばが聞かれたそうです。これを待つのは、本当に本当に気が遠くなるようなことだったと思います。
大人の年齢で、本人が気持ちの整理をして、次の段階の自分を求めて変化を起こすのは、並大抵の勇気ではなかったと思うし、それを急かさず関係を築き続け、見守り続けたお母さんには、何かの賞を贈りたいくらいです。
自分自身を模索中のお母さんもいらっしゃいました。
お子さんのために自分は何ができるのか、いつも自省的に向き合っていらっしゃるように感じます。
「呼吸」しましょう! 頭を空っぽにして、自分が今ここにいる、だけを感じる。
自分が何もしなくても「大丈夫」かもって試しに信じてみる。
子どもの言うことに「そうかぁ」とただ聴く。
模索も、自責からではなく、よりよく生きるためでありたいですね。そんな姿が子どもにとって人生のお手本になるといいなぁと思います。(S)
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